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2008.07.03

世界市民(グローバルシチズン)への転換

1ヶ月前にフィンランド留学生とフィンランド料理を食べる会を企画して、留学生と大学生の交流をしました。その時に教えてもらった「フェイスブック」という実名SNSでは、毎日、世界中の友人の近況がほぼリアルタイムに送られて参ります。
日本を離れて、はるかヨーロッパにいる人とも、毎日一緒にいるような感覚。これはインターネットがもたらしたコミュニケーション。国境の壁はありません。

私は1995年にインターネットを初めて見たとき。そして、2001年にiPodを初めて見たとき。その時に近い印象をフェイスブックに感じました。これは感性の領域ですが、最終的にインターネットは個が際だち、それぞれが独立した多様性を認める世界観になっていくのではないか?画一化されつつある社会の中にあって、多様化が行われていることは大変素晴らしい事ではないだろうかと思います。是非、フェイスブックにご入会され、私のメールアドレスから友人登録をされてくださいませ。

かつて、東京物語という日本の古い映画を見ていたとき、広島県の呉から来ていた老夫婦が列車に乗って12時間かけて田舎に帰るという場面を見たことがありました。東京から広島まで、当時は飛行機が高すぎて庶民が乗れない時代。時間は今と同じように流れており、今は4時間弱で新幹線のぞみに乗れば行けてしまいます。約半世紀で、移動時間が3分の一になってしまいました。一世紀前だと、歩くなどの交通手段でしょうから、1週間以上かけなくては辿り着かない距離だったのでしょう。

1週間後に25回目のネパール出張へ行くのですが、日本からネパールまでは乗り換えもありますが、12時間以内に到着します。関西空港からカトマンズまでの、直行便が今月中に飛びますが、9時間くらいでネパールまで行けます。そうなると、かつての広島へ行くことと、今のネパールへ行くことは、時間的には同じかそれ以下ということになります。もちろん、パスポートも必要ですし、言葉も違えば文化も風習も違う。でも、世界は明らかに小さくなりました。

村人との関わりも、もはや10年以上のお付き合いになったことから、顔なじみの人たちと談笑をしたり、子どもの成長する姿を見て自分の子どものように感じたり、村が少しずつ綺麗になり、豊かになっていく様子を見ながら、共同事業をしていく中で、第二の故郷のように感じることもあります。私が勝手に思っているだけかも知れませんが、村人も少しずつ受け入れてくれているように感じる時があります。

世界中、どこに住んでいようとも、どこか繋がっている感覚。それが、私の知らない所であろうとも、これから出会う人であろうとも、心と心が触れあって、信頼関係を感じられる事は素晴らしい事だと思います。そこに私のが少しでもお役に立てているのであれば、存在価値はあるように思うし、人と人とのご縁は実に不思議なもので、その流れに素直に従っていけば広がっていくように思うのです。

世界市民(グローバルシチズン)への転換というのは、日常をそのまま世界で行えば良くて、人を喜ばしたい、何かお役に立ちたいと思い実行をしていけば、自然にそうなっていくように思えるのです。心の垣根を取り払うというか、自然体でいることによって、本来の自分が顕れ、それが世界の人たちと繋がっていけばと願っております。

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