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2010.05.31

サラエボ紀行

本日、サラエボからミュンヘン経由で日本に帰国しました。
ミュンヘン空港では飛行機の遅れで、走って乗り継ぎましたが、10時15分に成田に到着し、会社に戻ってきました。

1992年から95年まで、当時私が高校3年生から大学生3年生だった頃、旧ユーゴスラビアでは内戦による惨事により、悲しい出来事が日常的に起きてました。

町を歩くと至る所に銃撃の跡が見えます。

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かつてサラエボオリンピックが開かれた会場近くにあるFCサラエボ(サッカーチーム)のグラウンドは、夥しい数の市民墓地となっておりました。本来の墓地は、敵の領地にあったために、グラウンドを墓地にしたとの事でした。特に94年、95年に亡くなられた方が多く、いかに惨い状況だったかを思い知ります。

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今は復興が進み、内戦は収まったものの地雷が残っていたり、失業率は40%近くにまで膨れ、政治の腐敗は横行し、決して安泰とは言えません。

しかし、人々は親しみやすく、歴史と文化の香りが漂う、多様性溢れる街となっておりました。

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ただ、表面と内面には、深い溝があり、伺い知ることは出来ません。

宗教対立や民族紛争は、日本人には理解できないだろう。現地でそう言われましたし、そう思います。しかし、だからこそ、日本だからこそやれることがあるのではないかなとも思います。

今回、ロータリークラブがスポンサーとなり、国際交流基金、日本大使館、外務省の多大な協力をいただき、日本人指揮者である柳澤寿男さんのバルカン室内管弦楽団による民族の共栄のためのコンサートは、音楽を通じての平和活動に貢献できたのではないかという手応えを感じました。

第一次世界大戦のきっかけを作ったサラエボ事件は、1914年6月28日に起きました。今回滞在したホテルヨーロッパから歩いて1分の所に現場がありました。オーストリア・ハンガリー帝国がサラエボに対して宣戦布告し、ドイツ帝国も参戦し、当初は数日、数週間、クリスマスには帰れるだろう。と楽観的に始まった戦争は、世界全体を巻き込んで、戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1000万人、負傷者は2200万人と推定される程の大惨事となりました。

その後の第二次世界大戦にも繋がり、サラエボ事件から約30年後に、広島・長崎に原爆投下され、その数日後に日本で世界大戦は終わりました。まさにサラエボで始まり、日本で終わりました。

今回の滞在は、まさに歴史の現場に立ち、平和活動への関わりを通して、様々な事に思いを馳せました。

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2010.05.30

バルカン室内管弦楽団 サラエボ公演

2010年5月29日(土)ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの陸軍ホールにて、国際交流基金、日本大使館の主催、東京杉並ロータリークラブ後援によるバルカン室内管弦楽団のサラエボコンサートを開催し、200名以上の参加者(150名の席数)に来て頂き、盛況の内に終えることが出来ましたことを報告いたします。

バルカン室内管弦楽団は、日本人指揮者である柳澤寿男さんが2007年に立ち上げたバルカンの民族共栄のための管弦楽団で、セルビア人、マケドニア人、コソボ人、クロアチア人など、多数の民族によって構成されています。

東京杉並ロータリークラブは、2009年11月6日(金)に第一生命ホールにて、国際交流基金と共催でコンサートを行い、昼・夜の二回公演で述べ1000人以上の方々に演奏会を行い、それは日経新聞等の新聞をはじめ、11月23日にはNHKのおはよう日本にて30分番組で放送され大きな反響を呼びました。
そのコンサートで得た収益で、NHKや地元メディアによる取材を受けながら、日本大使館、外務省の協力の元、国際交流基金が中心となり、今回のサラエボ公演が実現しました。

つい15年前までは、内戦で約20万人もの犠牲者が出たサラエボは、1914年6月28日に第一次世界大戦のきっかけとなったオーストリア皇太子が暗殺されたサラエボ事件が起きた場所でもあります。まさにバルカンの火薬庫とも言われる紛争の続いた地域で、多民族によるオーケストラを、日本人の指揮のもと、一つにまとまるということは大変意義があることです。音楽を通じての平和活動はもとより、ロータリークラブの目的とも一致し、今回のコンサートが開催出来たことは、とても大切な一歩になったであろうと思われます。

日本からはロータリークラブを代表して2名で参加をしましたが、コンサートには地元サラエボロータリークラブのメンバーも駆けつけ、ロータリアンの交流も深まりました。昨年11月に種を撒いた事業が、半年後の5月にサラエボで大きく花咲き、多くの方が拍手喝采の中喜んでいる姿を見て、大変有意義なサラエボ訪問となった事を報告します。

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2010.05.29

サラエボ

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに到着しました。

昨日の午前中は、ウィーンにあるウィーン大学やベートーベンが9年間住み交響曲5、6、7等を作曲した部屋を見て、午後1時30分に約1時間のフライトでサラエボに到着しました。

ほとんど日本人がいないので、後ほど、日本大使館の方に伺ったら、23名しか日本人はいないそうです。

私が大学生だった15年ほど前は、戦争をしていたということで、当時は紛争の絶えない地域で悲しい出来事が毎日のように繰り広げられていたとの事。未だに銃撃の痕跡が至る所に見ることが出来ます。

今宿泊しているホテルヨーロッパから、歩いて1分くらいの所に、第一次世界大戦のきっかけとなった、オーストリア皇太子と皇太子妃が暗殺された場所がありました。ここが、紛争の世紀がはじまったスタート地点だと思うと、日本人として第二次世界大戦に至るまでに起きた世界中の悲劇を、二度と繰り返してはならないと思う強い思いがこみ上げてきました。4年後の2014年6月28日に、その100周年となります。

サラエボの街は、とても良い街だなと散策をしてみて思います。
モスクもあれば、教会もあり、歴史を感じられる雰囲気ある通りに、小さなお店が沢山あって、人々が溢れるかのように大勢いて、楽しそうにしています。

昨晩は、日本大使主催の懇親会があり、バルカン室内管弦楽団の楽団員の皆さん、指揮者の柳澤寿男さん、そして、日本大使、大使館職員の皆様、日本から来た方々と交流をすることが出来ました。本日は、陸軍ホールにて4民族によるコンサートとなります。大成功することを心より願っておりますし、このコンサートを開催するために、2009年11月6日に第一生命ホールに1000名近い方々に集まって頂き、ロータリークラブと国際交流基金(外務省の外郭団体)とのコンサートを共催しました。

十分に目的を達成できるよう、今日は気合いを入れて一日を過ごします。

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2010.05.27

ゴミの落ちていないウィーンの中心部

今日一日、オーストリアの首都・ウィーン二万歩、距離にして約15キロ歩きました。

街を歩いて気がついたことは、とにかくゴミが落ちていないことです。
これには何か理由があるはずだと、注意をしてみると、オレンジ色の服を着た清掃員が、至る所で掃き掃除やゴミ拾いをしております。また、ゴミ収集車に乗っている人も同じくオレンジ色の服を着た人達で、市の職員であろうかと思いますが、ディズニーランドのような徹底したゴミを溜めない管理をしている事が分かりました。

破れ窓理論というのがあり、一カ所、窓ガラスが割れても放置されているところがあって、しばらく放っておくと、他の場所の窓ガラスも割られて、最終的には通りがスラム化するというものです。

また、ゴミが溜まりはじめると、それを中心にゴミの山が出来ます。
中心地にはゴミが落ちていませんでしたが、地下鉄に行く途中や少し中心部から離れた所には、よく見るゴミが溜まっている景色が目に付きました。

観光が最も大きな産業ということもあって、街をあげて徹底して清掃をしている街。ウィーンの裏側を知れた事は大きな収穫ともなりました。

今の季節なのかも知れませんが、良く通り雨が降ります。
そのために、傘を常備しなくてはいけない程ですが、しばらく待つと雨が止むので、タイミングが難しいと感じます。

いずれにしても、この街から学べることを積極的に今後に活かすよう、まだまだ、気がつくことがあると思うので、じっくりと見てこようと思います。

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オーストリアの首都・ウィーン

日本時間は朝の4時。こちらは前日の夜の9時。
時差が7時間あるため、日本時間の5時に寝て、お昼12時に起きるような感覚です。
いずれにしても、無事にウィーンに着きました。12年ぶりです。

ビフォアサンライズという映画があり、この映画は電車でたまたま知り合ったアメリカ人男性とフランス人女性が、一晩だけウィーンに途中下車する。という内容なのですが、まさにこの街が舞台になっておりました。その後、10年後にパリで再会をするビフォアサンセットという続編の映画もありますが、この街・ウィーンには憧れを持って訪れた事を思い出しました。

かつてのハプスブルグ家の王宮があり、モーツァルト、ベートーベンを初めとする音楽家がこの街にかつて住み、緑も豊かでコンパクトな街です。

1時間くらい散策をしてきましたが、日本と比べると街全体の作りが、統一感がある印象を強く受けます。また、歴史的な建造物が街の一部に組み込まれて、近代と歴史が上手に融合されているような街作りとなっており、まさに文化を中心にした都市計画なんだと感じずにはいられません。

自分の本業に何か結びつくものがないかという視点で街を歩いてみると、かつては気付かなかったものが沢山目に飛び込んできます。街全体にゴミが落ちていない事や、至る所にベンチや話し合いの出来る空間があって、人が集いやすい工夫が随所に見られます。広場の使い方や、空間を全体的に広く魅せる建物の作り方などは、この街を引きつける大切な要素になっているように思います。

明日も、ロータリークラブのメークアップなどもありますが、町中を歩いて、自分の会社に役立てるものをじっくりと見てこようと思います。

ユーロは今、110円台にまで安くなりました。かつて180円台だった頃は、たぶん高くて驚くような食事なども、比較的、日本で頂くのと同じくらいの感覚になってきております。日本円が強くなっている事を強く実感します。

明日は一日ウィーンに滞在し、明後日からはサラエボに行きます。
日本には31日(月)に帰国予定です。

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2010.05.23

本業

本業にのみ集中をしていく。これがなくては、他の事業をしても意味がないという事に気が付きました。やはり、自分の根幹となるものは何かを考え、私は世の為、人の為に経営を通して貢献するという姿勢こそが求められていると感じます。大いに切り換えていかねばと思います。

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2010.05.07

世界を舞台に活躍するために

昨晩は、短い時間ではありましたが、学生団体ワールドシラバスが主宰するイベントである「2008年ミスインターナショナル日本代表の杉山恭子さん トークライブ」に参加をさせて頂きました。

質疑応答だけではありましたが、会場の雰囲気もとっても良く、質問に対しての回答もとても真摯で、色々と考えさせられる内容で、内面からの美しさ・魅力を持つことが大切だなと感じることが出来ました。

とても興味深い内容だったのは、当時、ミスインターナショナルの世界一になった人を見て、「純粋」で「楽しんでいた」という表現をされ、自分の事だけではなく、周りを見回す余裕があったということで、上に行けば行くほど、純粋で楽しめるような世界が広がっているのではないかと想像が出来たことです。

もちろん、相当な競争を勝ち抜いてきた上でのことであることはもちろん、そこに至るまでの努力や経緯。プロセスに至っては、大変な努力を重ねる事が前提だと思いますが、純粋と楽しむという基本は持ち続けなくてはならないと、自分の事として考えさせられました。

一番難しいのは、目先の事に簡単に囚われてしまい易い中で、常に大きな目標に向かって歩み続けられることではないかなと思いました。私は2004年から10年手帳を付けており、10年後になりたい自分のために毎日を積み重ねて行きたいと思っておりますが、ついつい、心が安易な方に偏ってしまい、滞りがちになってしまいます。

しかし、それをやり続けることしか、上には行けないですし、当然世界を舞台に活躍することも出来ないと思うと、まずは足元を固めていくしかないのだと思います。

今日やれることは、今日やる。そして、心に残っているやり残しは、全て、気になった時に片づけて、常に前に前進出来る身軽さを持つことを心がけ、今日から大いに切り換えて頑張って行こうと勇気を頂いたようなトークライブでした。

スタッフの皆さん、そして、トークライブを引き受けて頂いた杉山恭子様、有難うございました。

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